湊と云う地名は、古代「鰐の浦」と云って居たが人皇十四代神功皇后三韓出兵の時軍船数多御繋きなり、当地に御立ち寄られ「良き港」と申されてより湊と称するに至った。
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その昔、この里にて疫病が流行り その病を治めようと村人参集い お祭り(祈願)したところ、 たちまち病も治った古事により疫病、 厄を祓う神として崇められ疫病を治めたことから、 疫(やく)と読み 今なお湊疫神宮(やくじんさん)として崇敬されている。 |
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この肥前鳥居と狛犬は、唐津を含む肥前地域一帯に特徴的な石造物で、肥前石工技術の発展を知る上で貴重なものです。 鳥居は、笠木の長さ2.1m、高さ2.04mで、肥前鳥居の中では小ぶりです。石質は玄武岩で、柱は玄武岩の二本継ぎでできています。右柱の上部に慶長二年(1597)の寄進銘があります。 また、狛犬一対は高さ93〜94p、同じく玄武岩でつくられており、鳥居と同時代に寄進されたものと考えられます。尾の様子にも古い様式を感じさせますが、その姿は素朴ながらユーモラスな感じも与え、狛犬の中でも貴重です。 |
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この肥前鳥居と狛犬は慶長二年(1597)につくられた石造美術品としては唐津地方で数少ないものの一つで、肥前石工技術の発展を知るうえからも貴重なものです。 鳥居の柱は玄武岩の二本継でできていて、笹木の長さ2.1メートル・高さ2.04メートルとなっており、県内の肥前鳥居の中では最も小さいです。 また、狛犬(ー対)は高さ93〜94センチメートルで 同じく玄武岩でつくられており、 尾の様子にも古い様式を感じさせますが、 その姿は素朴ながらユーモラスな感じも与え、 狛犬のなかでも優品です。 |